\動画で解説/
自己中心的利他の意味
自己中心的利他って聞いたことありますか?
結論から言えば
「自己中心だけど自動的に利他的でもあるっていうこと」です。
「利他」は自分を犠牲にして他人の幸福を願うことです。
他人の幸福を願うことはすごいけど、犠牲になるのかよ?って思いません?
うつ病経験のある人ならわかると思うんですけど、自分を犠牲にしてボロボロになってしまったら意味ないなーって思うわけですよ。
「利他」すぎてうつ病になる人多いですから…。
自己中心的とは何なのか?
ここでいう自己中心的っていうのはワガママになって人を傷つけろっていうことじゃなくて、素の状態でいればいいんじゃないですかっていう意味です。
他人の為に生きるんじゃなくて、あくまで自分の為に生きるっていうことですね。
自己中心だけど自動的に利他的でもあるっていうことなんですよ、ちょっと難しいかもしれないですけど。
自分の為に生きてるんだけど、他人の為にもなってるっていうことですあくまで自分は素の状態でいるだけ、ありのままの自分でいるだけ。それで周りから好かれるような状態。
これが僕の生き方の根幹と合っている自己中心的利他っていう考え方です。
人に嫌われるのが怖い人へ
例えば、あなた吉野家の社長だったとします。
友達に「吉野家好き?」と聞いて、「僕は松屋派だね」と言われて傷ついたとしても、
あなた(吉野家)はそれで営業停止しませんよね!
あなた(吉野家)のファンを大切にしてますよね!
それと同じで、嫌われるのは怖いけど、好きと思ってくれる人を育てよう。
迷った時のマインド
この道を選べば正解なんてない、選んだ道を正解にしていくしかない
「この人で良かったのかな」
「この仕事で合っているのだろうか」
ではなく、、、
選んだ答えを「正解」にしていくのが人生、大人になれば「選んだ答えを正解にする力」こそが試されることになるのです。
コラム|自分の常識は他人の非常識
職場でよくそれって常識じゃないの?って言葉を聞くのですが、どうも違和感があります。その人が常識だと思っていることは社会に出てみると非常識だったなんてことがよくあるのです。
わたしの上司も誰かがミスをすると「それって常識じゃないの?」と言っています。先日も誰かが上司の席に何か書類にサインを求めてやってきて、書類を見せて用件を伝えていました。その場では内容を聞いてサインしていましたが、サインを貰った社員が立ち去った後に「あの人だれ?何で名前名乗らないんだろう。常識じゃないの?」と言っていました。
確かに面識が無い人に初めて何かをお願いする際にはどこの誰か名乗ってから話を始めるのが「常識」なのだと思いますが、その方の「常識」ではなかったのでしょう。もしくはその書類についてメールでやり取りした後にサインを貰いに来ていた様なので挨拶は必要ではないという認識だったのでしょうか。ある意味「価値観」の違いでもあると思うのですが。
アインシュタインは常識のことを「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」だと表現しています。
新入社員が上司に電話をかけてきて第一声が「何時頃着きますか」と言ったそうです。
確かにその新入社員のいる場所に行く予定で向かっている途中でしたが、「電話を掛けたらまずは名乗って挨拶するのが常識。Lineじゃないんだよ。」と怒られていました。
友達同士ではそれで問題なかったのでしょうが、会社で働いている以上電話を掛けたら名前を名乗って挨拶して、さらに今お時間よろしいでしょうか?など相手を気遣った言葉を述べた後に用件を伝えるのが「社会の常識」なのです。
この場合も「社会の常識」として上司の「価値観」を「常識」と言う言葉で押し付けているか、「常識」とか「当たり前」と言う言葉でごまかしているに過ぎないと思うのです。この「社会の常識」は18歳までに経験していないので身に付いていないのはしょうがないことですが、社会人になる前に自分で「社会の常識」を勉強しておけば怒られる回数も減らせるでしょう。
人の上に立つポジションにいる人が、考えをきちんと相手にわかる様に説明するほど理解していないか、語彙力が足らずに「常識」という言葉に甘えているだけ。「常識」で片付けるのではなく、社会人としての「共通認識」として説明できなくては人の上に立つ人間としては失格だと感じます。
もしかしたら、今の新入社員世代が上司になる頃には電話の挨拶は「不要」ということになっているかも知れないですよね?常識は常に変化するものでもあります。
例えば、お客様と喫茶店で待ち合わせて打ち合わせをする上司に同行して飲み物を注文する。皆さんコーヒを注文している中、自分だけクリームソーダを頼んだら後で上司に怒られるでしょう。
それはそこにクリームソーダを飲みに来ているわけではなく、打ち合わせをしに来ているからです。そしてビジネスの場にクリームソーダは「常識がない」と怒られることになるのです。その場に相応しくない。または、不適切という理由です。
ビジネスの場ではコーヒーを頼むのが「常識」だという上司の「価値観」ですが、お客様もきっとそう思っていると思うのでこれはビジネスの場での「常識」なのです。
別にクリームソーダ飲んだって仕事できるじゃないか!って思う人もいるかも知れません。わたしも正直みんな好きなものを頼めば良いのにと思いますが、他の人の「常識」に沿わないと不快な思いをさせてしまう可能性があるのでビジネスの場での「常識」に合わせています。クリームソーダは自分が好きな時にのんびり飲めば良いのですから。
どうしてもクリームソーダが飲みたかったら、その場全員がクリームソーダが飲みたくなる様な話でもしてみれば「じゃあみんなでクリームソーダ注文してみようか」なんてことになるかも知れません。みんな同じことすれば問題にならない不思議。
以前勤務していた会社では、始業時間が9時なのに8時50分から社員全員でオフィスの掃除を10分間する。というのが常識の会社がありました。出勤初日にその話を聞いてびっくりしましたが、オフィスに入ってみると皆さん揃って10分間掃除していました。もちろん始業時間は9時なので無償で掃除をしていました。総勢100名の社員が何の疑問も持たずに。
その後30分全員立ったまま朝礼があるのですが、なんと妊婦の社員も30分立たされていました。でもそれがその会社の常識。一般常識で考えたらオフィスの清掃は業者に頼んでいて、妊婦を30分も立たせたままなんてマタニティーハラスメントだと思いびっくりでした。
この様な事もあるので、自分の常識と他人の常識が全く違うことはよくあるのです。